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01|はじめに

発症からこれまで

化学物質過敏症と診断されるまで

はじめまして、カナリアハウス主宰の横山 奈保子(よこやま なおこ)です。
私は2009年に化学物質過敏症を発症しました。当時37歳。

自分が「化学物質過敏症ではないか」と思い始めたのは、発症から2年が経った頃、地元で上映されていた化学質過敏症を描いたドキュメンタリー映画『いのちの林檎』を観たことがきっかけでした。

20代の女性が、ショッピングセンターで動けなくなっている姿、サービスエリアのトイレに入れない姿を見て、「(私も)同じだ!」と思いました。

それまで、私と同じ症状の人を見たことがなかったので、「この症状にはちゃんとした病名があるんだ。私がおかしいわけではなかったんだ!」
病名があるということは対処する方法もある、と初めて希望を感じた瞬間でした。

化学物質過敏症であることを確信したものの、専門医に診断してもらうまで3年8ヶ月かかりました。

発症当時は多少外出できていましたが、2012年を境に状況が悪化し、子供たちの面倒もみれない、人に会えない、仕事もまともにできない。ただただ、寝ているだけ。

どうしたら良くなるのか、どこに光があるのかも見えない真っ暗闇の中、絶望して死を考えたこともありました。

その時の私を救ってくれたのは、ずっと通っていた鍼の先生の「大丈夫、わしがついとる」という言葉です。それはお守りのように幾度となく、心許ない私の気持ちを繋ぎとめてくれました。

「大丈夫。きっとよくなる」 自分以上にそう信じてくれる人がいる。それだけで光が灯る、そんな気がするのです。
あなたにとってのカナリアハウスも、そんな存在でありたいと願っています。

気分があがる服を着たい。

化学物質過敏を発症すると、下着や服にも反応してしまい、基本的な衣類にさえ困窮してしまうのが実情です。実際に私も、ベージュや生成り色、色があっても無地のオーガニックコットンの服しか着られなくなりました。

「以前のように明るい色やプリント柄の服を着たい」
「せめて気持ちだけでも元気のでる色を身につけたい」

そう思っても、カラフルな色や素敵な柄が入った洋服は、生地やプリントに使われている糊や溶剤に反応してしまい、袖を通すことすらできません。
いつしか「過敏症だから仕方ない」と諦めてしまう。私自身がそうでした。

けれど、いろんな制限がある中で生きていかなければいけない、そんな状況だからこそ…気持ちが明るくなるような、着ているだけでほんの少しでも心が軽くなるような、そんな服をもう一度着れたらなあと思うのです。

自分の意思ではどうにもならない状況に苛立ちや失望を感じ、物理的にも心理的にも引きこもりになりがちです。でも、おしゃれができれば、外に出る前向きな気持ちも生まれるんじゃないか。そして、そんな服こそが私たちの思う「おしゃれ着」でもあります。

世の中にないなら自分で作るしかない

私の父は繊維業界で50年以上働き、織物と染色に関する知識は豊富です。 そして私自身は10年以上、よさこいや太鼓の衣装を作る事業に携わってきました。父の知り合いもふくめ、私が着られるものがないか、方々探しても、本当に安心して着られるものには出会えませんでした。

ある時ふと、「これだけ探してないということは、本当にないんだ。ということは、どんなものなら大丈夫なのかが一番わかる私が自分でつくるしかない」と気づきました。こうして、化学物質過敏症の人が着られる衣料を作るため、染色と縫製の工房を作ることから始めました。

数値に表れない微量な化学物質に反応するカナリアンの方が使えるものを作る工房です。この建材は大丈夫か、この壁紙は?糊は?といった判断が必要な工程では、化学物質過敏症である私が立ち会いました。

その無理がたたって、1年以上療養することになりましたが、今はこの時に作っておいて本当によかったと思っています。

私一人の力では大変なことは抱え込まず、助けや協力を求める。私たちの考え方に賛同くださる専門家の方々とともに、最後にみんなが欲しいものができれば、それが最高だな、と思うのです。